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ちっちゃな、ひきこもりの自助会(奈良・大阪)

わかっちゃいるけどグズグズ。アラフィフひきこもりが働けない訳

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予定更新は開催予定よりもこのページ下部のGoogleカレンダーの方が早いです。

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僕は、ひきこもったり、こもらなかったりを繰り返して30年の、アラフィフです。
あぁ、きっと、この数字に引いてしまったかたがほとんどだと思います。
我ながら、なかなかのインパクトww

いい加減、ガツンと働けばいいのに。
家族はそう思っているし、自分でもそう思うのですが、どうも煮え切らない。
なぜなのか、理由を列記してみました。
順番は関係ありません。
そのときどきで、一番の気持ちが変わるので。

「お前なぁ…」と、言われてもしょうがないところですが、どれだけ説教されようが、1mmも変わらないという自信があります。
というのも、僕は常識的な労働観を持ち合わせており、働かなくても生きていけるならいざ知らず、大人になったら働くのが当たり前と思っています。
にもかかわらず、なかなかその通りに出来ないでいるからです。

①やりたいことに没頭したい

読み書きがちょっと苦手なんです。
軽い学習障害かボーダーライン上にいるようだと、4年ほど前に気付きました。
それまでは、どうしてこんなに読み書きに時間がかかるんだろう、しんどいんだろうと思ってきました。

10代後半で大学受験に躓き、大学に入れたものの就職で躓き、両方でひきこもりました。
20代後半で、自分がダメな原因はいろいろあるけれど、読み書きが苦手なことは大いに関係していると自己分析。
上手になるまでがんばろうと思い、練習の日々がはじまりました。
練習といっても、ただ根気よく読んだり書いたりするだけなのですが。
まさか、それがずっと続くとは。
なかなか成果があらわれず、30代半ばになると、ここで止めたらすべて水の泡、どれだけ気持ちが腐っても少しでもいいからやり続けることを自分に課しました。
そうこうしてるうちに、この歳になってしまいました。

幸い、人並みぐらいにはなれたと思います。
ただ、もっと上を目指していたので、かけた労力や時間のわりに得たものが小さくて残念です。
また、学習障害かもしれないと気付いたときは、かなりショックでした。
いつか急激によくなる(読み書きの上達は学習の後半に急に効果が表れるタイプ)と信じてきましたが、それならば期待薄だと思い知ったので。

うまくいかずに焦っていたときは、どれだけ時間をかけてもいいから、速く読めるようになりたい、書きたいという一心でした。
いまは、ようやくふつうに出来るようになってきたんだから、今までのぶんを取り返すべくどんどんやりたい。
どっちにしろ、働いている時間がもったいなく感じてしょうがありません。

読み書きが上手になるというのは、職業上のメリットもありますが、それにも増して好奇心を満たすために必要不可欠なことだと思っています。
知りたいことが山ほどあるんです。

単純な仕事でも、それなりに覚えなければならないことがあります。
もうそれを想像するだけで苦痛。
記憶力に自信がない上に、覚える気がまったくないのですから。
そんなことよりも、僕は自分の好奇心を満たしたい。
こんなふうに思うのは、読めばすぐ分かるようなことなのに、それがなかなか出来ないできた反動でしょう。

普段の僕は興味の対象が広く、やりたがりな所がありますが、働くことに関しては180度違って消極的な気持ちにしかなりません。
まるで別人です。
これではいけないと、ときどき駅などで配布されているアルバイト情報誌をもらってくるのですが、9割以上の確率で一度もページをめくらずゴミにします。

②不器用で、仕事で一杯いっぱいになってしまう

読むとか、書くとか、好奇心を満たすとか、そういうことは休日やアフターファイブにやればよいのです。
それが普通というか、当たり前です。
大抵の人はそうしています。

でも、元来不器用で体力がなく、気疲れしやすいため、仕事優先にしないともちません。
いくらやりたくても、やれる気力が残りません。
ブラックでないふつうのバイトでも、少なくとも慣れるまでの半年、1年は我慢せねばならないでしょう。
これがどうも納得いかないのです。

つまり、バイトと読み書きはトレードオフの関係。
どちらかを優先すれば、どちらかが犠牲になる。
それで、だいたいの場合、読み書きのほうを優先してきました。

いま20代なら、人生において何一つ無駄なことはないと考えるのはありです。
でも、アラフィフでもうそんなことを言ってられるのかと思うのです。
40代半ばになって、目じりが下がり、白髪が増え、老眼になったりで、老いを感じるようになりました。
平均寿命まで生きたとしても、人生の折り返し地点を過ぎています。
このままでは終わりたくないという焦りから、ますます半年、一年がまんすることが耐え難く思われます。

③プライドが許さない

誰も僕のような、経験も技能もないアラフィフを雇いたいとは思わないでしょう。
きっと、僕はキモチわるい存在です。
労働市場における価値は限りなくゼロに近いか、むしろマイナスです。
まったく選べる立場にはありません。
悔しい。

でも、だからといって何なんでしょう。
不本意ながら安い時給で、つまんない仕事と思いながらも、生活のために、家族や子供のために働いている人は幾らでもいます。
何をするかよりも、得る成果(お金)のほうが重要だからと。
大人として立派な振舞です。
実際、そういう人たちが縁の下の力持ちになってこの社会を支えています。

なのに、、、ほんと、ちっちぇ~な、自分って思います。

そう、僕は頭ではわかっているのです。
でも、いまだに自己実現とやらに縛られています。
縛られるのは不自由なことですが、夢見心地でいられます。
僕は社会における、今現在の自分の本当の姿を見たくないのです。
しょうもないプライドにかじりついているのです。

さらにいうと、自己実現と現実の労働をつなぐ回路が見出せないから、やる気を見いだせないというのもあります。
挫折続きと年齢のせいで、もはや具体的に何を実現させたいのか分からなくなっています。
よって、これも目標や夢を実現させるための手段だとか、当面の食い扶持として重要とか、そういう理由付けができません。

④職場が怖い

僕はわりあい自分の意見を言うタイプです。
一方で、人と人はフレンドリーに接すべきだと思っています。
空気が読めても、あえて読もうとしないところがあります。
こういう性格が損とは思いません。
得してきたこともあるので。
でも、職場、こと最下層のバイトでは浮いてしまいがちです。
なぜなら、職場の人間関係というのは、いやらしいカーストで成り立っており、同調圧力が強いところが少なくないからだと思います。
僕はそういう環境で上手に合わせていくことが出来ないのか、したくないのか、どっちもです。
それでも、すごく仕事が早いとか、抜きんでたものがあれば別でしょうが真逆ですから。
けっこう打たれ弱いですし。
結局、負けてしまうか、疲れ切ってしまいます。

辞めるときはホッとしますが、それで一件落着とはいきません。
長い失意の日々が待っています。
ゆっくり2週間休んでから職探しを始めようと心づもりしていても、その程度ではダメージの回復になりません。
1か月延び、2か月延び、そうこうしているうちにお金が底をつき。
そうなると、一刻も早く働かなくてはという重圧で逆に動けなくなってしまいます。
そして、気付けば1年、2年とひきこってしまったなんてことが何度もありました。

これでは、いったい何のために働くのやら分かりません。
どんな仕事もしんどいでしょうが、しんどいところがあるというのが通常であって、寝込んだり、ひきこもってしまうほどしんどいのはおかしい。

いえ、痛い目に遭ってばかりというわけではありません。
日雇いを含め、寝込んでしまったのは、せいぜい四つとか五つとか、そんなもんです。
確率的には半分以下です。
でも、それがどうにもこうにも辛くて、いまだに思い出して怖くなったり、怒りを覚えたりします。
今度、そういう風にならずに済むには、どうすればいいんだろうと漠然とした不安が付きまといます。
絶対に認めたくないし、絶対に誰にも知られたくないほど恥ずかしいことですが、僕は職場というもの、職場の人間関係を怖いと感じています。

この頃は、自分よりずっと年下の先輩や上司に顎で使われたり、デカい態度で責められるのは我慢ならんと強く思うようにもなりました。
そういうことをされたからですが、自分が歳をとったからというのもありそうです。

⑤履歴書で嘘をつくことに疲れた

引きこもりアルアル、履歴書問題にぶちあたるw
ほんと、これ、どうにかならないでしょうか。
自分がどう変わっても、社会が変わってくれないことには…。

ろくに働きもせず、読み書きの練習に専念してきたなんてアホか。
それが社会でいかに無価値であることか。
だいたい、そんなこと言って、仕事なんて任せられないと思われやしないかと不安にも思います。
だから、正直に言う勇気がありません。

それで、色々嘘をつくわけですが、30歳までは作家にでもなれればと言っていました。
彼らの日常は、読み書きで満たされているでしょう。
レベル0と無限大の差ですが、やっていることは同じようなもの。
恰好もつくんで。
あぁ、恥ずかしい限りです。

今は、歳相応のウソをついています。
農業だと。
(なんていうと、農家、舐めとんのか!と、言われそうですが。)

うちにはちょっとした畑があります。
父が現役時代、うちはサラリーマン世帯でしたが、いまは農家になっています。
父が耕しており、ときどき手伝います。
この事実にウソをまぜます。

「父親がまだ元気なんで僕はサポート役です。農閑期でちょっといま暇だし、ときどき外で働きたくなるんで」と言って潜り込むのです。
僕は見た目、細くて体力がぜんぜんなさそうなオタクですが、農家ですと言うと聞いている人の表情が変わります。
世間は本職を持っている人に対しては、少しは敬意を払ってくれます。
きっと、そういうことなら体力もあるだろうし、少なくとも月に10万円ぐらいは貰っているんだろうと派遣会社や現場の人が勝手に読み違えてくれます。

実際はというと、ちょっとやるぐらいなら特別な体力はいらないので、いつもは机の前に座ってばかりいる自分であっても、草刈りでも畝づくりでも出来ます(下手で時間がかかりますが)。
労賃は一円ももらっていません。
我が家は農業で生計を立ててきたわけでも、立てているわけでもありません。

このように、農家はひきこもりカモフラージュとしてはなかなか使える手です。
でも、3回も繰り返すと心の負担になります。
もうゲンナリ。
それでも他にいい手がないので、またウソをつくしかありません。
たとえ、採用に関して、前職や現職はほとんど考慮しないとしても、なんにもない自分をさらけ出すのは耐え難いのです。

生きていくにはこの程度のウソは方便なのに。
こんなときに限って正直者でいようとするなんて器が小さすぎますよね。

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